2011年3月30日水曜日

穏やかな日差しを受け、風を切って、、、、それでも風化させてはならない、、、

先ずは、
まだまだ生々しい、そして未来に風化させない為に
この写真集を丹念にみてみましょう



気温の寒さは嬉しいとも思う
だども、ヒマで懐の寒さ
不愉快な出来事、哀しい人間関係で心の寒さはイヤなもんですな

少し嬉しかったのは、末の息子が友と土曜日に来てな

土曜のライブの大森さんは信州木島平村の頃二人の息子にピアノを教えた人
末息子は昨年からその大森さんのライブを時々見にくるようになった

というのも、
二人の息子には幼児の頃からピアノを習わせていた
信州木島平村の頃は、末息子はピアノを習うのをイヤがっていた

クマは構うコトなく強制的に習わせた
それがな、高校になって
「お父さんが強制してくれて今は良かった」と言うたぞ

ほんで、ほんで
今ではいつの間にかジャズを弾くようになってな
大森さんのライブが終わって長い時間オトンとギターとピアノのディオ
まるでオトンと父子のように


日曜日の正午に友達と練習をしに店にきよったのじゃよ
まだまだ覚束ないんじゃが数曲まあまあちゃんと弾いている
クマしゃん素知らぬ顔で聴きながら内心はもう嬉しいてな
(親バカ(^^ゞ)


お父さんは、ジャズの店をやってはいるものの楽器は全然アカン
お前らがピアノを習ってその内、お父さんが飲んでる時に
ジャズを聴かせてくれるようになったら嬉しいんやで

幼い二人にそんなコトを何回も言うたもんぜよ

地震と言い、原発と言い更に周りの人間関係に
ココロ晴れぬ今日この頃、チョッと癒されたかな


癒されたと言えば

先週、二日間で店の床張りをやったのじゃよ

それはな、Sinがやってきて床張りの話を聞いて「オレも朝から手伝いますからエカシ、やってしまいましょう」(エカシというのはアイヌ語で尊敬される長老の尊称。それをクマが
 エエ気になってハンドル名にしてた時期がありましてな。一部の古
 いお客は癖になって未だにクマをそう呼ぶんじゃよ^_^;)

お陰で金曜日のアッコのライブに間に合って、アッコにも喜んでもらえた
 

ほんで、日曜の夜
「エカシ、明日の昼は予定ないし塗ってしまいましょう」

日曜の昼、寝ていたところをSinの電話で起こされて
「今から行きますからね」
Sinにケツを叩かれ三時間ほどで塗ってしまいましたがな


Sinは失職したりで実は大変やのに

めげるどころか
「今、時間があるから手伝えるコトは何でもしますから」と
実の息子にも無い真心を注いでくれるんぜよ

クマしゃん、大いに癒されますな

 

床の塗装が終わって
淀川をチャリで30分ほどさかのぼった所のホームセンターへ買い物に行った

帰りはゆっくりと河川敷を走り心地好い陽射しと風を受けてな

河川敷のサッカー場で少年たちのサッカーを二人でしばし観戦したり
Sinも昨年までサッカーをしたそうな

それから葦の生い茂る所にさしかかり


以前ここでカワウソのようなのを見かけたぞと言うと
ウソでしょう、何でこんな所にカワウソが居てますねん
アホ、居ったものは居ったんや

ま、そんなコトを言いながら川端をゆっくり走っていたら
「エカシ、エカシ、居りました」突然、Sinの叫びじゃ

何処や何処やと彼の指差す方を見ると
水面にチョコンと顔を出している動物が居たぞ

そいつがな、こちらをじーっと見つめとるんじゃよ
しばらくして泳ぎだしてこちらへ真っすぐ泳いでくるんじゃよ

カワウソ?いやーチト違うかも
猫のような顔?いやネズミかな、それとも違うと問答している内に
そいつが川端の陸地にのっそり上がってきおってな、じーっとこちらを見る

何じゃあれと、こちらも観察する

な、どっちが見られてんねんやろ
オレらが見られてんのんちゃいますか

あれっ、登ってくる
ホンマや、あいつ人間なれしてますやん。誰か餌やったりしてんのかな

体調30㌢位、ずんぐり太った体。頑丈そうな四つ足。で、尻尾が細い
それは明らかにネズミ、巨大なネズミ。

寄って来たオッサンがアマゾンなんかに居るカピバラとちゃう?
う~ん、そうかも、じゃか違う、、、
何か外来種の確か東南アジアとか南米とかの巨大ネズミが
日本で繁殖して増え続けてるちゅう、あの何とか言うネズミ、、、


店に帰って、Sinが早速ネットで調べたら
ヌートリア。
こいつが今、淀川で増えているらしい


 


今日の大阪は小春日和の陽気じゃったが、今頃になって曇天

大川端を通り、藤田邸を抜けて帰ってきたが
桜の蕾が緑色からやや赤みを帯びてきたぞ

大川の両岸には桜がいっぱい植えられていて花の量も凄い
開花する頃は人の量も凄いからクマは行く気が失せる

花見はやっぱり信州木島平村のあのグランドが一番かな


それにしても、昨日も今日も川の畔をチャリで走り風を受けている

また、思いがよぎる
この川面が10mも盛り上がったらどうなる
そして、どう何処へ逃げる

いやいや、町中を歩いててもその思いは常に想起されて
色んなシュミレーションをするようになった
あーあ、どうもいかん
何か欝欝として胸がジワーと締め付けられる日々が続く

そしたら自慢の鍛錬にも気がいかへんようになって
10日ほど鍛錬から離れてしもうて体が硬く重い

 

マジ店がヒマ、地震以来イベントとかのない日はヒマ
ヒマなのはホンマに困るぜよ

弱音を吐くのを由とせんクマが遂弱音を吐いてしまう始末
ホンマに困ったクマじゃ
 


気分転換に鞍馬へ行こうと決意したのに、それもなかなか行かれん
早く、信州木島平村の山荘に行きたい

じゃがな、ひょっとして行けても日数は縮まるかも知れん
何せ、ホンマにヒマでありんして費用の捻出が苦しいかも
 
人には、関西人がパワーを出して日本の復興に寄与せんとアカン

なんてほざくクマが、こうウジウジしてたらアカンよな
でもな、多分、数日で脱却できると思う
ウジウジしだしたらその反動もクマにはあると信じちょるけんね

女々しいクマでごじゃるよ


風を受けて
ココロ新たに前進あるのみ

そう
4月4日は待望の「さが ゆき」のライブ

彼女も東京で地震の被害を受けた
皆で励まし最高のライブにさせんとね(^O^)/

さがゆきホームページ 

2011年3月25日金曜日

更に、、、そして今日は妖精ピアニストのCD発売記念ライブ

今朝は良い天気(^・^)
 陽射しが窓いっぱいを眩しく輝かせて清々しい

 暖かな陽射しに反してチト寒うござる

 大阪でこの寒さ、被災地ではと、、、、
 またも胸を刺す痛みを覚えます



 最近鬱になって閉じ籠りがちになってしまう
 大地震のせいもあるんやろうなと
 昨夜のお客の古いご婦人

 アカンでオレらが、関西人がめげたらアカン
 大阪人は悲劇も笑いにしてしまうその活力で元気を発揮せな
 皆が元気を出してこの難局に立ち向かわなアカンと、クマ

 
 放射能のどの数値が人体に及ぼしそれはどの範囲なのか
 そして、それにどう対処していけば良いのかとコト細かく
 政府は指針指導してないもどかしさと苛立ちを嘆いていた


 クマの持論
 信州木島平村の山荘が全焼して以来
 明日は、次の瞬間は何が起こるか分かれへん

 その瞬間は殆どが悲惨で不幸な出来事

 そやからと言うて
 ビクついてとか恐れて生きていくのは違うんやと
 そやからこそこの日をこのトキをこの瞬間を
 できれば輝くように生きて行きたい、いや、行かねば


 
 で

 以前からの懸案の店のコンクリートむき出しの床を 
 二日かけて板を張りましたぞ(^O^)/

 看板に次いで更に床もウッディーにいたしましたがな
 

フォト
 クマはログビルダー
 木と丸太にこだわってこそのJazzBar街山荘であるのだー
 
 火事、地震、津波で全て失くしてしまうかも知れん
 それでも生きている限りは人はモノを創っていくのよな


 
 今日は
 
 妖精ピアニスト榊原明子のソロライブ
 

フォト
 アッコが来るたびに「この床何とかなれへんの」
 今日は妖精ちゃんに喜んでもらえるでしょうねーーーペンギンペンギンペンギン

2011年3月22日火曜日

スケジュールを更新しました

3月25日~5月3日までのスケジュールを更新しました

2011年3月16日水曜日

こんなトキやからこそ、気晴らしもありかと

突然バラバラと窓外に音がした。
白い礫が無数に落ちてきて時ならぬ霰が展開した今日の昼下がり
今日の大阪は寒い


普通なら季節外れにも風流かなと思うものを
一瞬に胸が痛み心が曇る


今しがた見た
被災地の今日の雪景色、被災地は冬型の気圧配置に襲われた
寒さとも闘わねばならない被災者の皆さん


どうか頑張って下さいと、祈ることしかできません、、、、





店は予想どうりヒマ、、、
この程度のコトは覚悟の内にも入らんやろう


思えば
阪神大震災のトキの方が予想だにもせんかった二次災害がやってきた
あの年は信州木島平村でロッヂ街山荘を営んでいて
積年の努力が実り、シーズンは予約でいっぱいやった

震災の前日、100人を超す宿泊客を送り出した
そのほとんどが阪神、淡路島方面の人達
昔ながらのお客のそれぞれが人数を集めてやってきてくれた


そして
翌日から全て連絡がとれへんかった



2月に入って、連絡の取れない古い付き合いの人を探しに芦屋に行った
探し尋ねて、避難所の小学校で彼女たち親子と再会できた


ホッとして信州木島平村に帰って次の予約客を迎える準備に入ろうと
そのほとんどが関西方面の人達


こんなトキにスキーになんて来れる訳がない
90%の予約が消えてなくなり前途が真っ暗な状態に陥った


今は大阪、
被災地から遥か離れて地元での商いをしてるから
あの時ほどの絶望的な影響はないかも

そやけど、いつも来るはずのお客の顔が来ない
このヒマな状況をいつまで耐えていくのか検討もつかへん

クマは思う

今、我々にできるコトは
塞ぎ込むだけでなく明るさを求めて
日常をしっかり営んで、働いて、酒も飲んで


そのコトが経済の低下を少しでも食い止め
支援と復興につながると信じます


こんなトキやから気晴らしもありと思います

月曜に放送予定のヨーエンチャンネルが昨日UPされました
魂の歌手ヨーエンちゃん、JazzPianist太田和麻君、クマの
ハチャメチャトーク、まぁ見てくださいな(^^♪
動画・ヨーエンチャンエル 








福島原発関係の人の実名入りの日記です
それぞれの立場、一読の価値は大いにありです
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1689991019&owner_id=24641205

2011年3月15日火曜日

先日の日記の訂正と謝罪を申し上げます

全く恥ずかしいコトですが、たいして検証もせずに情報の拡散をしてし
まいました。


ここに先日の日記
『心からの哀悼とお見舞いを・支援物資の窓口』
のお詫びと訂正をさせていただきます



あの日記に極親しいマイミクさんの「むーさん」から下記のコメントを頂
き現実の厳しさを再認識いたしました



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むーさんのコメント


お気持ちは判りますが、個人での支援物資を現地宛で送るのは、今は、まずいと思います。
実際、取り急ぎ確認しただけでも、福島県庁のサイトには

◆ 個人の方からの義援物資
混乱を避けるため、申し訳ありませんが辞退させていただきます。

となっています。
現実、輸送手段も限られている中で、個人がバラバラと送る、それを受け入れて、まとめ、仕分けするなど、被災地の人たち、自衛隊の人たちが出来ると思われますか?
目下、現地で受け入れることが出来るのは、中身がはっきりし、数がまとまってある、企業等からの大口の支援物資のみだと思います。

もしも被災地外の人が個人でと思うなら、そちらで取りまとめの場所を作り、そこでしっかり仕分けしてまとめて送る、だと思います。そこまでしても、受け付けては貰えない可能性も覚悟して、ですが。・・・福岡ではすでに窓口が受付終了したそうです。大量で、対応しきれなくなったと言うことでしょう。
現実としては、なんらかの窓口、受け入れ態勢が出来た時に向けて、自宅で準備した状態にしておく、だと思いますが。
・・・神戸にボランティアで入った際、教室いっぱいの、個人からの支援物資の仕分けで一日が終わりました。しかも、多くは、リサイクルショップでも受け取ってもらえないような古着・・・


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更に今日、情報の出所の「sayuriさん」の下記の日記を挙げられました


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「sayuriさん」の日記


情報を参考にさせて頂いた方には申し訳ないのですが、今回、私の東北地方太平洋沖地震に関しての日記で、マイミクさんから心あるご指摘を頂き、日記やつぶやきに記載した事柄の確認をするため、自分なりに色々調べさせて頂いたところ、私が日記に載せていた情報に間違いが何件もある事に気が付きました‥。

災害や、その支援に関して、全く知識の無い私が載せた情報によって、援助活動や、真剣にこの震災の事を考えている方達に、これ以上混乱や不快な思いをさせてしまってはいけないので、地震に関する自分の日記を改めさせて頂くことにしました‥。


まず、得た情報を自分で調べなかった事、そしてその情報を、皆さんと情報を共有するこのサイトに、信憑性のある物かどうか確認もせず、気持ちだけ先行して記載し、そして皆さんに拡散して頂く様に、お願いしてしまった事、本当に恥ずかしく、申し訳けなく思っております‥。
無責任な行動をとってしまって情けないです‥。


お優しい気持ちから、私の情報を拡散してくださった方、私を信頼して拡散してくださった方、被災地で大変な思いをされている方々に思いを馳せ、力になりたいと思い拡散して下さった方、そして、、情報を広めて下さった方の日記を読まれた方々に、大変申し訳ない事をしてしまったと思っております‥。


この情報を拡散してしまった事によって、恥ずかしい思いをされる方もおられる事と思います‥。
信頼は回復されるものでは決してありませんが、私の日記に情報が記載していたという旨を、お伝えください‥。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~




sayuriさんと同様に深くお詫びと反省をいたします。
今後は自分で検証して確かな情報を得ていきたいと思います

確かに、この非常時に個人が思いだけで安易に行動するのは
更なる混乱を招くでしょう


個人は思いを馳せつつも
行政を監視し、行政が正しく機能しているならそれに従い協力して
今までの日常をしっかり生きていくコトが支援と復興につながると信じます



そういうコトで
先日の日記は削除させていただきます

お騒がせいたしました






はらだ よしお 記

2011年3月13日日曜日

心から哀悼とお見舞いを・   少しお知らせ

 まずは
 この度の地震で亡くなられた方達に心から哀悼の意を捧げます
 被災に合われた方達にも心からのお見舞い申し上げます


 そして、
 クマの信州木島平村の山荘をご心配いただいてお問い合わせ下さった方たちに
 あらためて、深く感謝申し上げます


 栄村は信州木島平村から車で30分も行った所
 友人になった芸術家を訪ねてよく行った村です

 震源地は本当に近いのですが
 中沢牧場の久夫ちゃんからの報告は被害はなかったとのコト


 次々と挙がってくる被災状況
 初めの内はハリウッド映画のSFものかパニック映画を見ているようで
 脅威と衝撃を交差させながら画面を食い入るように見ていた


 水が押し寄せ建物が押し流され押しつぶされ
 車もドンドン流され、車ってあんなに軽いものかと
 自然の力、水の力のとてつもなさに驚愕して見ていた


 その内

 被災に合われた人々の生の姿と表情が次々放映され始めた
 呆然としている人、抱き合って身を寄せ合う人
 失意の表情を隠せない人、
 再会した家族の生きていただけ良かったと抱き合う親子


 我が事ののように涙が止まらなかった
 

 1998年信州木島平村の街山荘が全焼して
 膨大な負債だけが残り全てを失った当時が蘇り
 この地震の被害を我が事のように胸を痛めます

 それでも、あの時、家族全員が無事であった事は
 何よりも救いで励みで今日まで生きてこれました
 生きていればこそと思います

 一人でも多くの方が救われん事を心よりお祈りします



 さて、お知らせです
 
 4月4日(月)さがゆきvo 太田和麻p JazzLive
                                予約前売り\2000

 さがゆきちゃんも東京で大きな被災を受けました
 住まいの中は散乱して滅茶苦茶でガラスの破片だらけだと

 予定したライブは当然できず
 女一人不安な日々を送っているはずです

 彼女を励ましお見舞いする上にも
 4月4日はぜひ来て下さいね


 昨日、新しい看板を店頭に出しました
 製作に約10日間かかったクマ渾身の作品です
 まだ、全て完成した訳ではないけど店頭に出し
 今までの看板はお役御免で片付けました
 

 この看板の上にミニログハウスのランタンを乗せます(^^♪



 動画USTREAM・ヨーエンチャンネル
 にゲスト出演しました。
 明日、月曜日放送です。


 魂の歌手ヨーエンちゃんが心機一転意欲を出して取り組んでいます
 JazzPianistの太田和麻君がサポーターを見事にやっていますよ


 クマも番組に少しは寄与できればと
 及ばずながらサプライズ的に乱入突入してヨーエンちゃんを驚かし
 三人で脱線しっぱなしのハチャメチャトーク、ぜひごらんあれ

 月曜日を外しても観れますよーーー

2011年3月1日火曜日

続・巷に雨が降る夜は 李正子(イ チョンジャ)に思いを

 当時、多くの若者がそうであったようにアメリカのベトナム侵略を契機に
 このクマも反戦運動へと足を突っ込んでいった
 
 やがて、緩やかな反戦運動から過激な革命を志す闘争の端くれにいた
 基本は、反権力、反差別、反搾取の三本立てを旗印に闘争に組していた
 数年というわずかな期間ではあったけど、それは今でも原点として内包している

 そんなクマが
 この数行の短歌だけで惹きつけてられてしまうのに充分な献立やった



 在日の人達とも多く親交を重ね、自分なりに在日を考え体内消化していた
 していた、つもり、、、

 『鳳仙花のうた』に触れ、まだ知らぬ更なるものへの探求心が蠢いたのかも


 ~ 冬の風景 ~ 『鳳仙花のうた』より イ・チョンジャ ~

 冬の風景のほうが、春の山桜やつつじの咲き揃うころや、
 若葉が光を返しながら泳いでいるさまよりも、はるかに好きである。

 切り株の並ぶ田んぼが美しい。雀が遊んだり水を呑んだりしている。
 いっさいの葉を落とした樹木に余分なものがなく、
 さまざまな欲望から解き放たれて思索する人間のように見える。



 冬陽がにわかにそうした樹々に降りかかると、彼たちは沈静した輝きをみせてくれる。
 それは何の装飾も作為ももたないものの輝きである。

 かつて彼たちが想像もできないほど青葉を繁らしていたのだと思うと、
 いのちというものの不思議さに眩暈がしそうである。


 松の緑の変わらぬ鮮やかさや、竹が雪に撓(しな)う強さもいいのだが
 季節とともに巡り息づいていような彼たちに、私は多くを惹かれてしまう。

 そしてそれは、この季節にこそもっとも顕著なので、
 私は冬を待ち、冬の電車に乗りたくなる


 風が褐色のすすき野を吹き渡ってゆく。枝々が揺すられている。
 空気は澄んでいるので、遠くまで見渡せる。カラカラと音が聴こえそうである。

 冬の景色は透明だ。しかし、荒涼ではないと思う。
 確かないのちの声が染みとおるように感じられる。
 そう思いながら、町からずいぶんと離れてきてしまった。



 ~~~


 在日を生きる人の思いとはと、やや勇み足的にこの本の中に入っていった
 そこには「在日」の苦しみ哀しみ、怒りが綿々と綴られているものと

 ところが、少し読み進むと予想外にこんな文章にも出会い、うろたえて、
 痛烈に感じたのは、その格調の高さに自分には到底及びつかない
 ハイレベルの文学が目の前でしなやかに隙間のない情緒で眩く飛び込んできた



 さらに

  ~ いのちに充てり ~いち 『鳳仙花のうた』より イ・チョンジャ ~
 
 女郎蜘蛛が木の根っこに巣を作っている。
 こんなに暑いのに一生懸命何してるの?

 森を抜ける。
 物陰にこおろぎを見つけた。
 まだ赤ちゃんのこおろぎは歩き方もヨチヨチとおぼつかない。
 どこまでゆくの?手伝ってあげようか。



 蝉しぐれは思い出を語っていたというのに、木の幹に、ほら、抜け殻。
 朝顔は萎えはじめ、私は帽子を置き忘れてしまった。
 夏の疲れを癒すかのように陽の落ちるのがはやくなり、夜明けが遅くなる。

 三日月は繊(ほそ)く白く冴えた光をこぼし始めた。
 風はやわらかくなって額に吹き、髪を洗う。
 それは、そう、すでに秋を配(はこ)ぶ風。


 ~~~ 


 移ろいゆく季節の叙情を優美な郷愁をこめて女性ならではの柔らかなかな愛をこめて
 才能がたおやかに滲み出る映しは、
 この人の湧き出る自然な表白でもあるのやろう

 しなやかな流れで、細やかで清楚な内にも密かに流麗な文章は
 著者の心の在りようがいつの間にか読む側に忍び寄り魅了されていく



 モノを書く、文学を思う自分であった
 そんな自分がこの人の文学に触れた瞬間、
 自分の書いているものを文学と思い上がっていた軽薄な自分とむきあって

 雨音の単調な音律に思惟を重ねていくほどに 羞恥心でいっぱいになった。
 こんな文章を書ける。その人に衝撃と憧れが同時に広がったもので
 読み漁り、読み耽り、四回も連続して読んだ頃は、
 次はこの人にどうしても会いたくなってたのを、雨の夜しみじみ思い出した





 在日を生きる人の思い
 それを更に知りたく読みはじめた出頭に予想だにしなかった 
 文学に出会った

 読み進む内にそれだけでなかった
 知りたい知ってみたい在日の心と思いがやはり綴られていた
 確かな論理を背景に挑む理念が言葉を使って状況を切り裂いていく、
 苛烈に切り込んでいく、在日の内なるものは
 怒りであり、哀感であるにもかかわらず冷徹な状況分節には脱帽ものでもあった

 読んでいて息を呑む瞬間の随時にメッセージがほとばしり魂を震わされてもいた



  ~ 祖母の写真 ~一部抜粋 『鳳仙花のうた』より イ・チョンジャ ~

 (ハルモニ)、祖母のことを韓国語ではそういう。祖父は(ハラボジ)である。
 私は生活の中でこの言葉を使うことが一度もなかった。
 
 私にとってそれらの言葉は、
 とおいとおい記憶の部屋にぼんやりと漂っているような、
 唇にのせるといつのまにか溶けてしまうような、はかなく頼りがなく、
 それでいて仄(ほの)かなぬくみを伝えてくれる灯りのようなものである


 植民地時代をともすれば歴史上のこととし
 知識でとどまりがちなときに、これらの言葉は生々しく重く、
 <在日>という事実を私に確認させる 







 ~ 戦後史の転換 ~一部抜粋 『鳳仙花のうた』より イ・チョンジャ ~

 「在日」がなぜ「在日」であるかを考えるとき、
 かつての日本の侵略は無視できない歴史的事実だ。

 戦後も変わることのない対韓国・朝鮮人歓のもとで、
 不断の日常をもつ根底にそれは今も強い威力を発する。


 PKOの国際貢献というならば、
 膝もとの国際感覚の大切さをもっと考えられてよい。

 自衛隊の海外派遣には、多額の税金が使われるであろう。
 その税金の一部を、私たちも日本人と等しく納めている。

 <在日>が決して望むことのないこのような税金の使途について、
 選挙権・被選挙権にかかわらず、何の発言権も私たちには与えられていない。


 いまなお放置されたままの植民地処理。 <在日>ばかりでなく、ほかのアジアの人々の立場への無為無策、無関心さは
 そのまま日本の戦後民主主義のあゆみであり、投影であろう。




  ~ 心の壁 ~一部抜粋 『鳳仙花のうた』より イ・チョンジャ ~

 国籍条項とは「日本国籍を有するもの」という想定で、自治省は内閣法制局の
 見解に基づいて、公権力の行使や公の意思形成に携わる公務員にはこれが必要
 だと考えた。
 
 これは敗戦後の不安定さと治安の問題があったにしろ、
 いまや目の上のたんこぶになった人々を日本の都合一つで処理し、
 一切の責任を放棄したことなのだ。



 国籍と民族を一致させることは、道理にかなっているように見えるが、
 はじめから意思と能力のあるものを受け入れない非合理性と、
 人としての発展しようとする自由と可能性を奪う
 いうなれば、大人社会のいじめだ。

 それを国家が政策としているのは、法治国家、近代国家にはいかにも
 ふさわしくない。


 韓国籍のまま公務員になればスパイの恐れがあるとか、
 帰化すべきだという意見が飛び出し、
 在日が日本社会に埋没し、いかに知られざる存在であるかが語られた。

 <当然の法理>の壁よりも、
 こうした心の壁が問題を不透明にし
 心理の未来を曖昧にしているのではないだろうか。


 胸がふさがり、言葉を失う。



 ~~~

  この本を全部書き写すわけにはいかないけど
 クマとしては暗唱できるほどに読みつくしたいと思う



 今にして、指紋押捺とか創氏改名とか国籍条項は過去のものになっている
 しかしまだまだ在日の人権は両翼のない方羽だけで停滞している


 植民地時代に日本に強制連行された朝鮮人は軽く100万人は超えるという
 戦後、朝鮮に帰った人達も多くいるけども

 大多数が在日として生活して既に四世の時代になり
 
 差別も公に姿は消して曖昧で方やドライな時代になって日本人と変わらなく

 それでも参政権は一切なく、在日外国人としての外国人登録の更新は未だ続く


 ああ、日本て、日本国って
 何と不条理に満ち溢れてるんやろう


 蒼い色の夜のしじま、この国に生まれ日本人として生きて67年余
 不条理の包囲網に身を切られる思いで、それこそ言葉を失う



 明治36年に大阪で開催された万博の
 人類博100年記念の講演に沖縄の人から誘いを受けてでかけた


 パネラーは
 在日韓国人、沖縄人、部落の人、アイヌ人

 四者が語る酷い差別の歴史と実態を聞いていたら
 日本人である恥ずかしさだけが浮き彫りにされ居たたまれないモノがあった


 分かってたはずの、そのまだまだ苛烈な歴史と現況は
 クマが日本人である以上、真摯に受け止めて語る番でもあるようで



 ならば
 
 自分もれっきとした差別者であったコトを披露せねばなるまい



 つづく