2013年8月31日土曜日

城崎温泉・街山荘 夏の奇跡・その4

今日も当然海に行きたい。行きたい行かれへん。
明日はこの夏最後のお泊り、しかも16人は超える団体さん
ほな、海なんか行ってる場合ちゃうもんね、、、、
台風も来ている。二、三日は泳げんとよ。
それに今日は昨日張り切り過ぎて身体もチトお疲れみたい


「今夜泊めてもらえますか」と入ってきた女子の最初の言葉
無理に作ったような笑顔の下に悲壮感も覗かせた苦渋の表情を読み取った
「大丈夫です。今夜はまだ部屋ありますから」
オレもさり気なく怪訝な表情の片鱗も見せず快く招き入れた

夕食は要らない、朝食も要らない、その分飲みますときた
訳あり、しかもカネなし。出費を極力控える
カネのない苦しい時をイヤと言うほど潜り抜けてきたオレには
彼女の裡側は語らずも理解できていた


中学の男の子、小学低学年の女の子を連れてきたお父さん
この春先に男の子を連れてふと飲みに来た人
城崎温泉・街山荘を気に入って今回は娘も伴いお泊りに来られた

お年寄りとお子様は不向きです、と言う街山荘の案内も物ともせず
二児を連れて来はったんや、それはそれで快くお迎えしましたよ



「その日は彼女の誕生日なんです。ケーキをそちらで用意してもらえますか」
最近こんなケースがカップルで来られる若い人に増えている
で、彼女「未来みくちゃん」の誕生日はこの夜のお泊りの皆さんでお祝い
 

訳ありの人に正面から問わないのがオレであって
そやけど、彼女は誰かに聞いて欲しい、ぶつけたいと思っている
そのタイミングを提供するのがオレの役目かも
ゆっくり時間をかけて聞いた

正確に城崎温泉に何10軒の旅館があるのか把握をしてないけれど
街山荘が城崎温泉でオープンしてしばらくは経営者側の若旦那衆がよく来てた
それが、昨年の夏を皮切りに申し合わせたように一斉にピタッと来なくなった
事実申し合わせたような話も聞いた

その代わり次は雇われている側の派遣の仲居さんをメインに従業員の人が増えた
彼女、彼等は地元でなく出身も色々バラエティーに富んでいる
遠くはアイヌモシリ(アイヌ語・北海道)に沖縄と日本全国から
つまるところ、派遣さんもオレもよそ者であってそこんところで話が合う
しかもほとんどが20代前半の若者ゆえに更に波長が合うときた

風評に音頭をとって一切来なくなった地元民より
他国から来た何処か冒険心の富んだ若者の方が全然よろしい

派遣の若い人たちは自分の勤めている旅館の話をする
先ず、気に入って誉めるのは稀で、批判、愚痴、悪口が主体になる
そけぞれ個人の思いようで変わるんやろうけど
まあ、聞くと派遣に対する扱いの酷いコト

要る時だけの人材で使い捨て、
旅館とて毎日連日お客が来て盛況な訳ではない
当然ヒマな日もあらぁな
その時犠牲になるのが派遣の人
休日にさせられる。それはそれで仕方なかんべ

でもよ、給金ナシ、食事ナシ
拘束だけしていて何の保障もありゃせん
せっかく稼ぎに来たのに何日もそれが続くと派遣は窮地に追い込まれる

とか言うて忙しい時にお手当てとか大入りも一切ない
酷い旅館は仲居さんがお客さんからいただいたチップも全て没収する
そらね、愚痴、悪口も当然湧いて出るものだす


「で、何、今夜追い出されたって訳」
「いえ、自分から出てきました」
自分から出てきたのは確か。居たたまれず出てきた
旅館は居た堪れず出て行くように追い込んだ
「旅館の名前を聞いてもエエかな」
「Rです」
「えええっ、またそこかよー」

確か昨年の12月やったかな
12時も過ぎた深夜。店の前にタクシーが止まった
何個もの重そうな荷物を降ろし若い女子が降りてきて
「ここなら泊めてくれると聞いてきました。大丈夫ですか」
で、聞くとこの夜更けに
「私が悪いから、私がドン臭いから自分出てきたんです」
旅館を聞くとR

この彼女は茨城県から
そしてこの夜来た彼女は鹿児島から
遠くから遥々この城崎温泉に出稼ぎにきた娘達

鹿児島の彼女は一ヶ月前に城崎温泉のR旅館に派遣で来たものの
実働は10日もなかって後は無収入
そして、居たたまれず飛び出して来た

遠くから働きにきた若者を何て扱いやとオレの中で憤りが渦巻いていた

「で、明日からどうするん」
「とりあえず、北九州に行って仕事を探します」
「どうやろう、それやったら三日間ほどこの宿を手伝ってくれへんか」

そう、この翌日からほぼ一週間満室がつづく
それは、城崎温泉に来て初めてのコトでオレも闘気で緊張していた

2013年8月30日金曜日

城崎温泉・街山荘 夏の奇跡・その3

今日も海に行ってきた
今日の海は凪て穏やかで静かな波が渚の砂を優しく撫でていた
昼前に行き昼下がりまでは快晴で正に海水浴日和
で、オレは存分に泳いだぞ。多分600mは、新記録や \ ^0^ / 目指せ1km!!


何故か近くの岩陰に下降を繰り返す鳶の群が長い時間乱舞してた
鳶のゆったりした飛行を見ていると「あーオレも鳶にりたい」といつも思う
何も考えるコトもなく本能の赴くまま大空に浮かんでいたい

って思うのは人間の勝手な思いで
鳶さんそれこそいつも必死で餌を探しているだけなんや



近畿一周の幸ちゃんが出立した翌日
明美ちゃんの友達のめぐちゃんとゆかりちゃんが初めてお泊りに
若いおねえちゃん2人、もう、よしおちゃんは熱烈歓迎で濃厚なサービス
じゃなくてー、海へガイドこれ勤めましたがな

シーズン真っ盛り、大好きな竹野ビーチは人が群れている
なら、チョッと先の切浜ビーチか、これもまあまあの海水浴客
ならば
最後の切り札、昨年さんざ遊んだプライベートビーチへお招きしたぞな

表の日本海から窪んだように入り込んだ小さな可愛いビーチ
途中に「挟さかり岩」と言う奇岩の名所もお2人に見せ
かのプライベートビーチに行きましたぞ

案の定、指で数えるほどの海水浴客で閑散として、やったーっ
めぐちゃん、この日少し体調が悪く海には入れない。可哀想、、、、
ユカリちゃんは直ぐに着ていたものを脱げば既に水着姿で

オレは、2人をここまで連れてきたらお役を半分以上果たしたと
後は2人で勝手に遊びなはれとばかりに海にドブン、

めぐちゃん、波打ち際でチェアーに腰かけ足だけちゃぷちゃぷ
隣に居たお子連れの若いお父さんに頼み三人で写真をパチリしてもらい
帰りは日本海の絶景を眺望できる断崖のロードをゆったり走り
マリンワールドを眼下にできる絶景で2人をパチリ






夜は、明美ちゃんが来て彼女の宝の浴衣を2人に着付けして
街山荘を楽しみ、城崎温泉の夜にお出かけしてお2人は堪能したでしょう


翌日は昼に意外な女子から電話があって今から来るという
大の仲良しのJazzSingerの楠元なおこ嬢ではあ~りませんか
ご亭主のピアニストの実家が丹後で泊りはでけへんけど
よしおちゃんに会いたいと。さもあろう ^ ^
で、ご亭主そっちのけで2人でベチャクチャ


とは言えこの日、満室には届けへんけど三組のお泊り客
オレとて色々準備もあるので三時にはなおこちゃんご夫婦はお帰りあそばした

三組が次々きて皆さんそろったと、、、思いきや
夕方も過ぎ日も暮れた頃、
ドアを開けて一人の女子が入ってきた
「今夜泊めていただけますか」

つづく





2013年8月28日水曜日

ココロは黄昏ていたかも

この二三日妙に頭が痛い。偏頭痛っていうのかな。
れが飲むと痛みを増し、一昨日はせっかく訊ねてくれたイルカ君と飲もうとしたけど控え目にした
昨夜はそれを恐れて更に極控え目にして代わりにウィスキーのミルク割りをチビチビ

誰が言うたのか、ミルクは静かな眠りを促進させるとか
それがタメかどうか意外と早い眠りにつき、今朝まで爆睡していた
10時に話で起こされた。明美ちゃんや
「よしおさん、今からご飯食べに行っていいですか。2人分です」
「えええっ、こんな早ように、、、、」

起きて台所に入ると昨夜下げてきた食器の類が当然山積みされているものと
あれれ、キレイに片付いて洗い物が洗われ整然と並んでいる
えっ、オレがする訳ない、明美ちゃんに決まっている
オレの寝所と台所は隣り合わせ、しかもドアは開けたまま
全然気がつかなかった程寝込んでいたんや


昨日、竹野ビーチで一人、泳ぎ疲れた身体をチェアにもたせて
蒼い海と雲の大パノラマを愛でながら実は深い思いに耽っていた

今年70になる。
信州木島平村の山荘が全焼して早15年が過ぎる
再起を図り、大阪で商売と信州木島平村での再建に全力で疾走している間に
妻が去り、子供達も妻を追ってさり、気がつくと独りっきりの生活

ジプシーのように店を次々と変え、遂には山荘再建も諦めざるを得なくなり
この城崎温泉にまるで漂着するように来て間もなく2年

城崎温泉の独居暮らしはひたひたと寂しいものが消えない
と言うのが偽らぬ想い
それでもお客さんや、明美ちゃんのような若い子と居ると随分癒されてきた

昨夜、小学6年の娘を連れて入ってきた若いお父さん
「久しぶりです。ヤっと来れましたよ」はて、何方?

一昨年の9月
「田舎暮らし」の豊岡の職員にこの宿を案内された時、駅前で偶然会った人
この人もこの職員さんの手助けで大阪からIターンしたそうな
その時以来のコトで、思い出すのに少し時間がかかった

この日、私鉄労連が毎年行事の一環として城崎温泉に終結
何軒かの宿に分散して泊っていた

で、彼も元阪神の組合員であって、今は全但の路線バスの運転手
私鉄労連の中に元の仲間も来るのだ
彼等父娘にお2人の壮年の男子もやってきた

一人は元の職場の先輩。もう一人は全但労組の委員長
先輩は突然職場を去って未知の世界に突入した後輩を真実心配して
今の職場の委員長は彼に目をかけ将来を楽しみにしている感じ
酔って大声で話す内容は人間味に溢れていてオレもついつい聞いていた

その内、先輩がオレにしみじみと話し出した

僕等の親父ってのは昔は怖い存在でしかなかったですよね
ところが最近ボケが始まって気力も萎えてきています
あの怖かった親父がどんどん影を潜め
ボケて行く姿を見ていると真実寂しい思いになりましてね

彼は46歳、オレの長男の二つ下、オレの歳を聞いてビックリしていたが
オレと言えば70ではあっても、事故の後遺症と未だ闘っていても
世間の70と、いや、60更に50代とも一緒にされたくないほど元気

貴方ね、お父さんのことは確かに心配やろう
けど、それが明日の吾身と思ったことがありますか
皆さん、歳になると例外を除いて歳相応に老けて中にはボケも始まる
それは、若い時からの自分の身体に対する心がけで解消できるものですよ

先ずは食い物に気を配るコト。そして睡眠に運動の三位一体ですね
皆さん、仕事に追われ定年退職する頃には身体は萎えてくる人が多い
仕事も大切ながら一番大切なのはいつまでも健康で元気である事

お父さんが心配で寂しい思いをするなら、同じ思いを次の世代にさせない
今からでも遅くない、生活に気配りを始めましょう


んな、偉そうなコトをのたもうたオレは
確かにその見本みたいに健康で元気でハチ切っている

が、ココロは最近段々と寂しさが根を張り時には、いやいつも喘いでいる
独りと言うのがしみじみと辛い
お客相手の生業やから、強靭な精神でありたいオレやから
表面、明るく振舞ってはいるが、、、、、

城崎温泉に来て、時々メールとか電話があったり、昨年は訪ねてきたのが
一つ下の妹とその娘2人、つまりオレの姪
息子達と言えば、昨年の事故の時、医師の招集で3人そろって飛んできた
オレはその時
「お前等帰れ!死ぬかも知れん、死んだ時に来ても何の意味もない。生きて元気な内に交流を持ってこそ情も育まれるもの。オレが死んだと聞いた時勝って来て勝手に泣けばよい」

傍目も自分でも殺しても死なんようなオレやから息子達も心配の種がないのかも知れん
それでも、2人の姪は安否を気遣うように連絡してくる
若いお客達も「よしおちゃん、元気ー」とメールをくれる
それはそれで癒されてホンマに嬉しい

そやけど、、、、、

昨日はビーチで雲のパノラマ、遥かな水平線、寄せ来る荒い波を見ながら
ココロは黄昏ていたのかも

2013年8月27日火曜日

残り少ない夏を惜しんで



今日も一人でビーチへ
まばらな海水浴客、広いビーチ
荒波が渚の砂を洗う。雲のパノラマ。藍色のクッキリした見事な水平線。
城崎温泉の夏は車で10分の竹野浜が一番ぜよ \ ^0^ /

残り少ない夏を存分に貪るように楽しむのだ!!!


2013年8月26日月曜日

城崎温泉・街山荘 夏の奇跡・その2

誰も居なくなった一昨日からゲリラ豪雨があったり急に涼しくなった
チョッと待ってくれ、オレの夏はこれからやんけ

海に行く、波と戯れるのでなくひたすら泳ぐ
泳ぐのが目的とちごうて大切なのは回復半分にしかない身体のリハビリ
水中の浮力を利用しての運動が多分この身体のリハには一番なんや
それに泳ぐ度に記録の更新が楽しいのだ


チャリで近畿一周を目指した爽やかな学生の訪問は思わぬ展開になった
(実は昨日25日に無事一周を終えたとのコト。めでたしhttps://www.facebook.com/photo.php?fbid=290442537761448&set=a.118203614985342.18238.100003871119444&type=1&theater)



その翌日は仲居の明美ちゃんと瞳ちゃんで海に行く約束になっていた
彼女達は城崎温泉で働いていながら未だ竹野海岸を知らへん
コバルトブルーの透明度の高いこの辺りのビーチへ案内してやりたかった
女の子2人にチャリの学生野村幸司くんも加えたら賑やかでよろしい

で、その晩は明美ちゃんも瞳ちゃんも休日前と言うので飲みに来て
幸司くんを交えて初対面なれど賑やかに騒いだぜ


翌日、いざ竹野海岸へ
快晴、お日さまギンギラギン、シャキーと肌に刺す暑さ
波穏やか。スカイブルーにコバルトブルーの海
三人の若者は旧知のようにハシャギまくり。もちろんオレも \^0^/


帰りは山陰海岸国立公園の一部でもある日和山海岸に向って
切り立つ断崖の上の九十九な未知を抜け「おおっ、絶景かな」を連発


名残惜しく、そしてにこやかな笑顔で次の目的に向って
チャリに跨り颯爽と幸司ちゃんは背中を見せて走り去っていった

その夜、明美ちゃんはアチコチの仲居仲間を招集して
城崎温泉・街山荘は黄色い華やかな笑い声で賑わいだとさ ^-^


翌日は大阪から明美ちゃんの友達2人がお泊りでやってくる

つづく



 

 

2013年8月24日土曜日

城崎温泉・街山荘 夏の奇跡・その1



それは思いがけなく突然始まった
7月のどん底がそのまま8月に滑り込みただ耐えることを強いられていた
予定では8月10日から17日まで何日かを除いて泊り客が来る
そやから未だ10日は耐えなければと覚悟していた

で、どうせ今宵も飲み客すらけえへんやろうと
昼の作業の疲れた身体をチェアに預けボーっとしていたら
ドヤドヤと6人の団体が入ってくれたやおまへんか
8月2日、この日を境に慢性化したボーズが姿を消した

観光客の飲み客に加えお一人様やけどお泊りの予約が突然5日に
そしてその次の日、一人の男性が静かに入ってきて
「今日、お部屋空いてますか。泊れますか」ときた

神奈川からバイクで回ってきたのだと
オレ的にその人の面構えが自然に受け入れられる何かを感じた
その夜は男2人で色々と良い話がいっぱい出来た


彼は神奈川を発って城崎温泉・街山荘に着くまでは野宿だけとか
野宿は早朝に切り上げ熟睡も出来ず、街山荘の畳の上で爆睡できたそうな
何度ももう一泊しようかなと首を傾げて迷った挙句
次の朝10時過ぎに猛暑の中を暑いと苦笑いしてフルフェイスを被り行った

彼を見送ったその夕方、一人の青年が明るい笑顔で入ってきた
「泊らせていただけますか」
訊くと何とチャリで近畿を一周していると
彼も大阪を発ってずっと野宿で来たと言う


2人とも街山荘の一泊二食6500円に吸い込まれたと言う ペンギンペンギンペンギン

つづくウマウマ

2013年8月10日土曜日

谷底どん底の七月を耐えて切り抜けて

先月七月は月の半分がボーズでおました
ボーズとはお客さんがゼロという、ま、業界用語で、最悪(生きていけまへん)
こんなん50年近くこの商売をやってきて二度目ですわ
一度は1998年に新宿歌舞伎町でJazzBARをやった時
あの時は4日間誰も来ない店に籠もって本作りで耐えた

何かに没頭しながら耐えるんですな、
もっとも一日も早く乗り切ろうと思案模索は続きます
九度山に閉じ込められるコト約9年の真田幸村に比べれば足元にも及ばへんが
それでお先真っ暗なら如何なオイドンもメゲルとこでごわすが
先が見えちょりましたから耐えたって訳

 

やっぱ、盆ですな
7月に入ってから8月10日から17日までの一週間に集中してきた
次々とお泊りの予約が入ってくる
今日8月9日現在で約70人以上の予約が入った
ま、昔信州木島平村でロッヂをしてた頃に比べたり
月の目標お泊り100人(チト力み過ぎ)を目指しているのを思うと可愛らしいもんやけど
そこが突破口でこれからの展開に励まねばね

8月にはいってからは飛び込みの泊り客もあったり
 
彼は大阪在住の大学2年。チャリでこの夏近畿を一周すると
飛び込みで入ってきて翌日は明美ちゃんたちと海で遊び去っていった

 

 

ビリヤードも出来た \^0^/ \^0^/
信州木島平村の山荘が全焼して何と15年ぶりに手元にビリヤード
オレは高1の頃から学校はサボっても玉突屋には行っていたくらい
ビリヤード大好き人間でありんして 笑
しかも、コイツが今後お客を呼んで稼いでくれるはず

 

 

城崎温泉歴約三年の仲居の明美ちゃん、一端は大阪に帰った

そして、今月また舞い戻ってきた
明美ちゃんが昼間毎日来て何かとお手伝いしてくれる
ステンド風窓の塗り絵から洗い物にお掃除
ほんで、ワシは彼女にもっとキレイにしなさいと怒られっぱなし

 
 

 
明美ちゃんは更に色んな宿の仲居の若い娘達も連日のように連れてきて
ヒマヒマと嘆いていた街山荘に活気を復活させてくれる
そうなると不思議なもので他にもお客がチラホラとやってくるわ
毎日一人やけど三日も続いて飛び込みのお泊りのお客もありましてな
なんとかしのぐコトができた

 


さぁ、怒涛の一週間が間もなく始まり
気合を入れてやっていこう


2013年8月3日土曜日

何とかここまで来たぞ

これはアートでもクリエイティブでもない
一つの根気の要る作業

イラストのテンシャやけどその組み合わせの閃き
構図的には何とか上手くいっていると自己満足気に

後は文字を描いたら完成としよう
明日には窓を飾るはず