この二三日妙に頭が痛い。偏頭痛っていうのかな。
れが飲むと痛みを増し、一昨日はせっかく訊ねてくれたイルカ君と飲もうとしたけど控え目にした
昨夜はそれを恐れて更に極控え目にして代わりにウィスキーのミルク割りをチビチビ
誰が言うたのか、ミルクは静かな眠りを促進させるとか
それがタメかどうか意外と早い眠りにつき、今朝まで爆睡していた
10時に話で起こされた。明美ちゃんや
「よしおさん、今からご飯食べに行っていいですか。2人分です」
「えええっ、こんな早ように、、、、」
起きて台所に入ると昨夜下げてきた食器の類が当然山積みされているものと
あれれ、キレイに片付いて洗い物が洗われ整然と並んでいる
えっ、オレがする訳ない、明美ちゃんに決まっている
オレの寝所と台所は隣り合わせ、しかもドアは開けたまま
全然気がつかなかった程寝込んでいたんや
昨日、竹野ビーチで一人、泳ぎ疲れた身体をチェアにもたせて
蒼い海と雲の大パノラマを愛でながら実は深い思いに耽っていた
今年70になる。
信州木島平村の山荘が全焼して早15年が過ぎる
再起を図り、大阪で商売と信州木島平村での再建に全力で疾走している間に
妻が去り、子供達も妻を追ってさり、気がつくと独りっきりの生活
ジプシーのように店を次々と変え、遂には山荘再建も諦めざるを得なくなり
この城崎温泉にまるで漂着するように来て間もなく2年
城崎温泉の独居暮らしはひたひたと寂しいものが消えない
と言うのが偽らぬ想い
それでもお客さんや、明美ちゃんのような若い子と居ると随分癒されてきた
昨夜、小学6年の娘を連れて入ってきた若いお父さん
「久しぶりです。ヤっと来れましたよ」はて、何方?
一昨年の9月
「田舎暮らし」の豊岡の職員にこの宿を案内された時、駅前で偶然会った人
この人もこの職員さんの手助けで大阪からIターンしたそうな
その時以来のコトで、思い出すのに少し時間がかかった
この日、私鉄労連が毎年行事の一環として城崎温泉に終結
何軒かの宿に分散して泊っていた
で、彼も元阪神の組合員であって、今は全但の路線バスの運転手
私鉄労連の中に元の仲間も来るのだ
彼等父娘にお2人の壮年の男子もやってきた
一人は元の職場の先輩。もう一人は全但労組の委員長
先輩は突然職場を去って未知の世界に突入した後輩を真実心配して
今の職場の委員長は彼に目をかけ将来を楽しみにしている感じ
酔って大声で話す内容は人間味に溢れていてオレもついつい聞いていた
その内、先輩がオレにしみじみと話し出した
僕等の親父ってのは昔は怖い存在でしかなかったですよね
ところが最近ボケが始まって気力も萎えてきています
あの怖かった親父がどんどん影を潜め
ボケて行く姿を見ていると真実寂しい思いになりましてね
彼は46歳、オレの長男の二つ下、オレの歳を聞いてビックリしていたが
オレと言えば70ではあっても、事故の後遺症と未だ闘っていても
世間の70と、いや、60更に50代とも一緒にされたくないほど元気
貴方ね、お父さんのことは確かに心配やろう
けど、それが明日の吾身と思ったことがありますか
皆さん、歳になると例外を除いて歳相応に老けて中にはボケも始まる
それは、若い時からの自分の身体に対する心がけで解消できるものですよ
先ずは食い物に気を配るコト。そして睡眠に運動の三位一体ですね
皆さん、仕事に追われ定年退職する頃には身体は萎えてくる人が多い
仕事も大切ながら一番大切なのはいつまでも健康で元気である事
お父さんが心配で寂しい思いをするなら、同じ思いを次の世代にさせない
今からでも遅くない、生活に気配りを始めましょう
んな、偉そうなコトをのたもうたオレは
確かにその見本みたいに健康で元気でハチ切っている
が、ココロは最近段々と寂しさが根を張り時には、いやいつも喘いでいる
独りと言うのがしみじみと辛い
お客相手の生業やから、強靭な精神でありたいオレやから
表面、明るく振舞ってはいるが、、、、、
城崎温泉に来て、時々メールとか電話があったり、昨年は訪ねてきたのが
一つ下の妹とその娘2人、つまりオレの姪
息子達と言えば、昨年の事故の時、医師の招集で3人そろって飛んできた
オレはその時
「お前等帰れ!死ぬかも知れん、死んだ時に来ても何の意味もない。生きて元気な内に交流を持ってこそ情も育まれるもの。オレが死んだと聞いた時勝って来て勝手に泣けばよい」
傍目も自分でも殺しても死なんようなオレやから息子達も心配の種がないのかも知れん
それでも、2人の姪は安否を気遣うように連絡してくる
若いお客達も「よしおちゃん、元気ー」とメールをくれる
それはそれで癒されてホンマに嬉しい
そやけど、、、、、
昨日はビーチで雲のパノラマ、遥かな水平線、寄せ来る荒い波を見ながら
ココロは黄昏ていたのかも
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