2011年10月20日木曜日

街山荘・城崎通信6・久しぶりの長距離走行

大阪から帰り、五日目の朝。空が素晴らしい秋を
先週は
木曜にヒョッコリと弟分のHとその連れが城崎に現れて
作業の手伝いと建物の掃除をしてくれた。


夜は一緒に温泉に行き、深夜まで飲んだ
金、土、日曜と大阪の店に出た
三日日間、古い顧客も交えて久しぶりな人が来てくれた
普通、日曜日はたいして馴染みのお客がけえへんのに
クマが帰ったと15人も顔を出してくれてクマを喜ばしてくたなぁ

月曜日の朝、バスで長野駅。
長野駅から長野電鉄で信州中野駅、
そこへ中沢牧場の久夫ちゃんが迎えに来ていた
早速、彼が手配していた車屋にダイハツAtraiを取りに行った
走行距離11万km、車検は再来年、スタットレスタイヤ4本付
それで13万
さすが久夫ちゃんエエのん見つけてきよった

当然、その夜は彼と積もる話の数々で熱燗を交わした
次にいつ会えるのか、そう思うと話にも熱が入った

翌朝は雨
雨の中を、チッチャなAtraiに助手席も含め荷を満載

ふと、やるせなさが。
12年前に全焼した街山荘、それから10年間再建に励んできた
それでも三割強位しか進めていない
オレは今年68歳。
何か思い切ったコトわやらんと、これは無理ぜよと
思案を重ね、訪ねあぐねて行き着いた所が予想外の城崎温泉の旅館
信州木島平村の再建中の山荘はつまるところ放棄ってコトになった
オレは10年間何をしてきたんやろう
あらためて甦る山荘の全焼シーン

消しようもない無念が心をうずかせる
この12年間、まるでジプシーのように店を転々と替え
行き着いた城崎で多分定着するやろう

木曜日に城崎温泉旅館組合の執行部の人達と膝を交えて話し合った
オレが現れた瞬間、皆さんに異様な緊張が生まれたのが伝わった
城崎は町ぐるみで風俗やヤクザを追い出した
それがオレを見た瞬間、ヤクザ?なんて思われた様子なんやな
名刺と挨拶代わりに著書の『山麓の炎』を皆さんに手渡し
「但馬でいなか暮らし」の小幡さんがクマの経歴とここに至った理由を説明
そこからだんだん皆さんの表情も柔らかくなって
最後は仲良く助け合って付き合っていきましょうと、チャンチヤン

豊田飯山IC~松本IC、そこから高山へ、東海北陸自動車道に乗って敦賀
敦賀から国道27号線に
料金所のオッチャンに27号を訊いたら
「へぇ、城崎まで。遠いですね。舞鶴から舞鶴自動車道がありますよ」
「いやいや、ワシもうカネないから下道ですわ」
「へぇ、そら時間かかりますな。気をつけてゆっくり行ってくださいね」

舞鶴から宮津、178号線で豊岡、城崎
信州木島平村を出たのが10:30
城崎に着いたのが20:40
ほぼ10時間、三回のトイレだけの休憩で走破
東海北陸自動車道の高山から城端まではほとんどがトンネル
中でも全長16km級の二つのトンネルには参りましたがな
高速は平均110km、下道は平均65kmの走行、
あぁあ、疲れた、いやいや疲れたのは前半、途中から慣れましたがな[m:242]

慣れると去来する思い多々ありで
城崎温泉で第三の人生を始めるに胸膨らむ希望もあるんやが
やっぱり、全焼した山荘と再建途上の山荘に尽きぬ無念と未練を
何度も何度も反芻するように噛み締めていたなぁ

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