2016年8月28日日曜日

サハラに死す

冒険とは可能性への挑戦である
『サハラに死す』上温湯 隆の一生

渇死、と言う珍しい死があった
その以前に普通は栄養失調か飢餓で死ぬものだ
解剖の結果、胃も膀胱にも何もなかった。

若干21才の青年がサハラ砂漠7000kmの
ラクダに寄る単独横断に挑んだ
そして志半ばでサハラ砂漠で渇死したのだ

その日記一冊を読み終えた

もし高校を中退せずに人並みに歩いていたら
もっと小さな自分になっていただろう。
もちろん年ともに変わっていくが、
同じ21才でも今と僕とはもっと違った人間になっていたに違いない。
利己的で大学受験だけで目先のことしか考えない
独断的で愚かな人間、
生きる目的を本質的に失ってしまった生きる屍、
そんな人間になっていただろう。
旅は、そういう愚かしく生きる事のつまらなさを教えてくれた。

大人になると利己的になり自分本位に生きる人が多い。
けれども、青春の時に持った単純な若者らしい夢を失わないように、、

今回買ったラクダの名前は前と同じくサーハビー二世
変なクセがあり夜など木の影を恐ろしがり動かなくなる事もある。
かと思うと急に走り出して頭から振り落とされた事もしばしば。
今、メナカは日中50度を越す猛暑。昼はとても歩けません。
夜進みラクダの疲労を少なくするしかありません。
それでも調子よく一日に40kmは進めるようです。
何しろ4000km以上も歩いてもらうのですから、
僕の命を預けた神様です。
ラゴスで旨いものを食べていたせいか現地食には馴染まず食欲がなく
水ばっかり飲んでいます。
アガデェスまであと二ヶ月の辛抱です。
日本には年内に帰れるならばいいと思ってます。
紅海のポートスーダンに着けましたら、再びパリへ行き
そこからサハラに関する本を買って日本に帰る予定です。
では出発です。成功を祈ってください。
1975年5月15日メナカにて タカシ 


日記はここで忽然と終わっている
その二週間後、マリ国北部の砂漠で渇死で発見された



もう40年も前の事、当時は色々な若者が居た
70年安保が国会を通りその揉み消しのように万博があった
時代の接点やったかな
既存の状況に飽き足らず若者が蠢いた

彼はその中でも傑物と言えよう
サハラに賭けた誰も成しえなかった冒険

日記が忽然と終わり、しばし悄然とせずにはおれなかった
約束されていない先に夢を抱いて飛び込んで行く
共感多々ありのオレの人生でもあるようで

0 件のコメント:

コメントを投稿