トコトンでもないけど結構天の邪鬼なオレ
人がハッピーに騒ぐのを覚めた目で見てんねん
例えば、一番がクリスマスそしてハロウィン
キリスト教徒でもなく白人のお祭りを意味なく騒ぐ
アホちゃうかとね、バレンタインもしかり
人混みを嫌悪するからお祭りもイヤ
誕生日もつまらん。数年前からオレは誕生日を葬った
稼業柄誕生日には皆さん色々祝ってきてくれた
嬉しくなくはないけど段々面倒臭なって
お祝いされてお礼を言うのが面倒
されたら相手の誕生日にもお祝いせなアカン
内うちの少人数なら未だしも多なるとね~
あんまり自分の個人的な事は表面に出さへん
息子が三人居る。
20歳まではオレ流に男として鍛えに鍛えた
20歳になったら父息子の関係は断つ
男と男、人と人として対等な立場でとね
それが妙に勝手に歩き出したのか
日常皆無と言うくらいに交流がない愛想のない親子
そやけど昨日は長男の50才の誕生日
50才と言えば男の節目の歳や
そこから一途に老けていくか或いは益々溌剌と生きていくか
久しぶりに長男へ誕生日の言葉を送った
「50になっても心は青年のように少年のように」
彼が幼少の頃、若い父のオレはいわゆる過激派で
幼少の彼にヘルメットを被せ子連れで街頭カンパ活動もした
そんなオレを見てたのかオレの思考性に近い生き方をしている
ウッドバーニングと言うのがある
板にハンダコテで焼きつけて絵を描く
高専を出て半年ほどドイツへ留学した三男が会得して帰った
知らん間に三宮で教室を開設してそこそこ生徒さんも居るらしい
長くオレを遠ざけていた彼が西天満に店を移してから
ちょくちょく顔を出すようになっな
ある夜、酔ったオレに携帯で写真を見せた
ウッドバーニングで描いた家のような物
酔ってたし写真の絵は小さいしオレにはどうでも良く邪険にすると
彼はムッとして「とにかく添付して送っとくよ」
翌日、iPadで拡大して見た瞬間息が止まり、唾を飲んだ
1998年に全焼した信州木島平村のログハウスのロッヂ街山荘
写実的ではなくメルヘンチックな彼の得意なタッチで描かれて
記憶を手繰り、思い出し思い出し描いたんや
目頭が熱くなり涙が湧いてきた
物質的にも精神的にも失くしたものが余りにも膨大で
未だにオレの裡に悲哀と無念が消えない塊として居座っている
そしてそれはオレの心の故郷でもあるのだ
彼には少五から高卒まで過ごした素晴らしい思い出が
消すことの出来ないトラウマとしてある訳や
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