2012年9月10日月曜日

晩夏・この夏の思い出

昨日も泳ぎにいった
夏は間もなく幕を閉じようとしているのに
ギリギリ、最後の最後まで海に飛び込んでいく
その大きな理由はやっぱりリハビリ

階段から落下して脊髄損傷
当初は激しい痛みだけで指一本も動かすコトがでけへんかった
あれからほぼニケ月、今は驚異的に回復しているらしい

それでも
手足の痺れはひつこくも残り、毎日右腕の鈍痛に悩まされている
驚異的な回復やろうけどオレ的には30%ほどの回復にしかなってない

回復の源は海中でのリハビリが功をなしている
そやから可能な限り海へ行く
海へ行くことで多くの若者たちとつながった



この夏は
若者たちと交わるコトで錦のような鮮やかで交々の煌く思い出ができた










 

そして、この夏は終幕を迎えようとしている

終幕にふさわしい大きな変化があった
5月から一緒に貧乏して一緒に乗り切ろうと
森もっちゃんが相棒として滑り込んできた
三ヶ月少しで彼は去ることになった
9月2日を最後に彼の街山荘での生活は終わった

今は広島のホテルで仲居をしている
11月にはまた城崎温泉に帰ってきて
元居た三木屋という旅館で仲居をすると言う
若者はもっともっと旅を続ければ良いと思う



久々の独居生活が戻ってきた
オレには独りが丁度良い感じなんかな
そう思う間もなく大阪から妹と姪が初めてやっと訪ねてきた
久しぶりの味わう身内の和みと温かみ

と言うのは
回復が早く痛みを除けばかなり普通に生活できるようになってきたのに
森もっちゃんが後2日に迫った日に皆でやはり海にいった

リハビリの一環で泳ぐだけでなく水中歩行も根気よく続けていたんやけど
それかどうか分かれへんが海から上がってきたら妙にひざが痛い

帰って張薬を張って一晩明けたら痛みが消えていたので
商工会に入るべく1キロほど先の城崎大会議場まで歩いて行った

ところがその中ほどから膝が痛み出し
痛く苦しい歩行となって城崎の町を縦断して帰ってきた
膝は腫上りもう歩行が困難な状態

森もっちゃんが抜け一人になる時にまたまた不自由な体に
忌まわしいこの呪われたような状況がむかつくし憂鬱になる
彼も後ろ髪引かれる思いでオレを気遣いながら広島に発った

そして間もなく妹とその娘の姪の訪問
連日三人で海へ行き楽しむ合間を
二人は掃除に洗濯、洗物と全館を隈なくピカピカにしてくれた

三日間はアッと過ぎて彼女たちは帰っていった





 
今日からホンマにまた独り
秋の入り口が見えている
それでも昨日も海に飛び込んだ

明日は一日雨が降るみたい。海には行けない
歩かれへんからチャンとしたリハビリがでけへん
右肩の鈍痛がここぞとばかり波状的に襲ってくる

今夜は何人お客が来るのかなぁ
ほとんどは10時を過ぎてからお客が来る
このところ地元のお客より観光客のお客が多い
その大多数が20代の若者たちでそのほとんどと仲良くなった























 
mixiやfacebookで友達になったり携帯のアドレスを交換したり
で、そのほとんどが大阪であって
オレが大阪に行くのを皆さん待っていてくれる

天満の店になって何故かお客の年齢が上がった
40~50代が圧倒的に多く、30代ともなると若者やった

ところがここ城崎温泉・街山荘では20代が圧倒的に多い
しかも20代前半が主流になっている
城崎温泉・街山荘では30代は若者でなく大人なんやな


久しぶりの独りの時間。未だお客もおれへん
独りでしみじみこの夏を振り返る


入道雲が水平線でそれぞれ競うあうように林立して
上空は雲ひとつないスカイブルー
海原は太陽を照り返しキラキラ煌いて
渚にはコバルトブルーの海面から絶え間なく波が打ち寄せられてくる
そんな日々の連続の中で若者たちと童心に帰って遊んだ




皆の笑顔が甦る
若者の誰もが海原の太陽を照り返しキラキラしていたあの輝きがあった

思うにこんな怪我をしてリハビリしかでけへん体になってなかったら
オレは多分、海で遊ぶ時間より宿の修復の作業に没頭していたかも
怪我が若者たちとの新たな絆の源になったんや

痛い苦しい辛いことが楽しい思い出を作った
さらに夏の二つのライブも城崎温泉に新風を送ったと思う 














来年はもっともっと沢山の若者がこの城崎温泉・街山荘を訪ねてくるやろう
いや、来年とは言わず
これから秋の行楽シーズン、冬の蟹シーズン
またどんな楽しいコトが待っているか楽しみや

城崎温泉に来てホンマに良かった




 




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