2011年3月1日火曜日

続・巷に雨が降る夜は 李正子(イ チョンジャ)に思いを

 当時、多くの若者がそうであったようにアメリカのベトナム侵略を契機に
 このクマも反戦運動へと足を突っ込んでいった
 
 やがて、緩やかな反戦運動から過激な革命を志す闘争の端くれにいた
 基本は、反権力、反差別、反搾取の三本立てを旗印に闘争に組していた
 数年というわずかな期間ではあったけど、それは今でも原点として内包している

 そんなクマが
 この数行の短歌だけで惹きつけてられてしまうのに充分な献立やった



 在日の人達とも多く親交を重ね、自分なりに在日を考え体内消化していた
 していた、つもり、、、

 『鳳仙花のうた』に触れ、まだ知らぬ更なるものへの探求心が蠢いたのかも


 ~ 冬の風景 ~ 『鳳仙花のうた』より イ・チョンジャ ~

 冬の風景のほうが、春の山桜やつつじの咲き揃うころや、
 若葉が光を返しながら泳いでいるさまよりも、はるかに好きである。

 切り株の並ぶ田んぼが美しい。雀が遊んだり水を呑んだりしている。
 いっさいの葉を落とした樹木に余分なものがなく、
 さまざまな欲望から解き放たれて思索する人間のように見える。



 冬陽がにわかにそうした樹々に降りかかると、彼たちは沈静した輝きをみせてくれる。
 それは何の装飾も作為ももたないものの輝きである。

 かつて彼たちが想像もできないほど青葉を繁らしていたのだと思うと、
 いのちというものの不思議さに眩暈がしそうである。


 松の緑の変わらぬ鮮やかさや、竹が雪に撓(しな)う強さもいいのだが
 季節とともに巡り息づいていような彼たちに、私は多くを惹かれてしまう。

 そしてそれは、この季節にこそもっとも顕著なので、
 私は冬を待ち、冬の電車に乗りたくなる


 風が褐色のすすき野を吹き渡ってゆく。枝々が揺すられている。
 空気は澄んでいるので、遠くまで見渡せる。カラカラと音が聴こえそうである。

 冬の景色は透明だ。しかし、荒涼ではないと思う。
 確かないのちの声が染みとおるように感じられる。
 そう思いながら、町からずいぶんと離れてきてしまった。



 ~~~


 在日を生きる人の思いとはと、やや勇み足的にこの本の中に入っていった
 そこには「在日」の苦しみ哀しみ、怒りが綿々と綴られているものと

 ところが、少し読み進むと予想外にこんな文章にも出会い、うろたえて、
 痛烈に感じたのは、その格調の高さに自分には到底及びつかない
 ハイレベルの文学が目の前でしなやかに隙間のない情緒で眩く飛び込んできた



 さらに

  ~ いのちに充てり ~いち 『鳳仙花のうた』より イ・チョンジャ ~
 
 女郎蜘蛛が木の根っこに巣を作っている。
 こんなに暑いのに一生懸命何してるの?

 森を抜ける。
 物陰にこおろぎを見つけた。
 まだ赤ちゃんのこおろぎは歩き方もヨチヨチとおぼつかない。
 どこまでゆくの?手伝ってあげようか。



 蝉しぐれは思い出を語っていたというのに、木の幹に、ほら、抜け殻。
 朝顔は萎えはじめ、私は帽子を置き忘れてしまった。
 夏の疲れを癒すかのように陽の落ちるのがはやくなり、夜明けが遅くなる。

 三日月は繊(ほそ)く白く冴えた光をこぼし始めた。
 風はやわらかくなって額に吹き、髪を洗う。
 それは、そう、すでに秋を配(はこ)ぶ風。


 ~~~ 


 移ろいゆく季節の叙情を優美な郷愁をこめて女性ならではの柔らかなかな愛をこめて
 才能がたおやかに滲み出る映しは、
 この人の湧き出る自然な表白でもあるのやろう

 しなやかな流れで、細やかで清楚な内にも密かに流麗な文章は
 著者の心の在りようがいつの間にか読む側に忍び寄り魅了されていく



 モノを書く、文学を思う自分であった
 そんな自分がこの人の文学に触れた瞬間、
 自分の書いているものを文学と思い上がっていた軽薄な自分とむきあって

 雨音の単調な音律に思惟を重ねていくほどに 羞恥心でいっぱいになった。
 こんな文章を書ける。その人に衝撃と憧れが同時に広がったもので
 読み漁り、読み耽り、四回も連続して読んだ頃は、
 次はこの人にどうしても会いたくなってたのを、雨の夜しみじみ思い出した





 在日を生きる人の思い
 それを更に知りたく読みはじめた出頭に予想だにしなかった 
 文学に出会った

 読み進む内にそれだけでなかった
 知りたい知ってみたい在日の心と思いがやはり綴られていた
 確かな論理を背景に挑む理念が言葉を使って状況を切り裂いていく、
 苛烈に切り込んでいく、在日の内なるものは
 怒りであり、哀感であるにもかかわらず冷徹な状況分節には脱帽ものでもあった

 読んでいて息を呑む瞬間の随時にメッセージがほとばしり魂を震わされてもいた



  ~ 祖母の写真 ~一部抜粋 『鳳仙花のうた』より イ・チョンジャ ~

 (ハルモニ)、祖母のことを韓国語ではそういう。祖父は(ハラボジ)である。
 私は生活の中でこの言葉を使うことが一度もなかった。
 
 私にとってそれらの言葉は、
 とおいとおい記憶の部屋にぼんやりと漂っているような、
 唇にのせるといつのまにか溶けてしまうような、はかなく頼りがなく、
 それでいて仄(ほの)かなぬくみを伝えてくれる灯りのようなものである


 植民地時代をともすれば歴史上のこととし
 知識でとどまりがちなときに、これらの言葉は生々しく重く、
 <在日>という事実を私に確認させる 







 ~ 戦後史の転換 ~一部抜粋 『鳳仙花のうた』より イ・チョンジャ ~

 「在日」がなぜ「在日」であるかを考えるとき、
 かつての日本の侵略は無視できない歴史的事実だ。

 戦後も変わることのない対韓国・朝鮮人歓のもとで、
 不断の日常をもつ根底にそれは今も強い威力を発する。


 PKOの国際貢献というならば、
 膝もとの国際感覚の大切さをもっと考えられてよい。

 自衛隊の海外派遣には、多額の税金が使われるであろう。
 その税金の一部を、私たちも日本人と等しく納めている。

 <在日>が決して望むことのないこのような税金の使途について、
 選挙権・被選挙権にかかわらず、何の発言権も私たちには与えられていない。


 いまなお放置されたままの植民地処理。 <在日>ばかりでなく、ほかのアジアの人々の立場への無為無策、無関心さは
 そのまま日本の戦後民主主義のあゆみであり、投影であろう。




  ~ 心の壁 ~一部抜粋 『鳳仙花のうた』より イ・チョンジャ ~

 国籍条項とは「日本国籍を有するもの」という想定で、自治省は内閣法制局の
 見解に基づいて、公権力の行使や公の意思形成に携わる公務員にはこれが必要
 だと考えた。
 
 これは敗戦後の不安定さと治安の問題があったにしろ、
 いまや目の上のたんこぶになった人々を日本の都合一つで処理し、
 一切の責任を放棄したことなのだ。



 国籍と民族を一致させることは、道理にかなっているように見えるが、
 はじめから意思と能力のあるものを受け入れない非合理性と、
 人としての発展しようとする自由と可能性を奪う
 いうなれば、大人社会のいじめだ。

 それを国家が政策としているのは、法治国家、近代国家にはいかにも
 ふさわしくない。


 韓国籍のまま公務員になればスパイの恐れがあるとか、
 帰化すべきだという意見が飛び出し、
 在日が日本社会に埋没し、いかに知られざる存在であるかが語られた。

 <当然の法理>の壁よりも、
 こうした心の壁が問題を不透明にし
 心理の未来を曖昧にしているのではないだろうか。


 胸がふさがり、言葉を失う。



 ~~~

  この本を全部書き写すわけにはいかないけど
 クマとしては暗唱できるほどに読みつくしたいと思う



 今にして、指紋押捺とか創氏改名とか国籍条項は過去のものになっている
 しかしまだまだ在日の人権は両翼のない方羽だけで停滞している


 植民地時代に日本に強制連行された朝鮮人は軽く100万人は超えるという
 戦後、朝鮮に帰った人達も多くいるけども

 大多数が在日として生活して既に四世の時代になり
 
 差別も公に姿は消して曖昧で方やドライな時代になって日本人と変わらなく

 それでも参政権は一切なく、在日外国人としての外国人登録の更新は未だ続く


 ああ、日本て、日本国って
 何と不条理に満ち溢れてるんやろう


 蒼い色の夜のしじま、この国に生まれ日本人として生きて67年余
 不条理の包囲網に身を切られる思いで、それこそ言葉を失う



 明治36年に大阪で開催された万博の
 人類博100年記念の講演に沖縄の人から誘いを受けてでかけた


 パネラーは
 在日韓国人、沖縄人、部落の人、アイヌ人

 四者が語る酷い差別の歴史と実態を聞いていたら
 日本人である恥ずかしさだけが浮き彫りにされ居たたまれないモノがあった


 分かってたはずの、そのまだまだ苛烈な歴史と現況は
 クマが日本人である以上、真摯に受け止めて語る番でもあるようで



 ならば
 
 自分もれっきとした差別者であったコトを披露せねばなるまい



 つづく


  





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