お宿をしたいと言うオレの強い願望は
'98年に全焼した信州木島平村のロッヂ街山荘に起因する
それまでは長年大阪でジャズバーにジャズライブハウスを営んで
飲んで楽しんでもらうだけの店やったのが
お宿は更に朝夕の食事と休んでもらう部屋も提供する
朝夕食を出すのはほぼ一日料理と後片付け洗物に追われる
更に部屋の掃除、寝具の上げ下げ、シーツなどの洗濯
いやいやまだまだある。
トイレ、全館の掃除に大掛かりな買い出しも
そう言うお客さんには見えない所の配慮の時間が大半を占める
お客さんに見えるもので大事なものは料理
信州木島平村時代は可能な限り自給自足を目指した
40坪の畑に色んな野菜を育て作ったり
鶏が約100羽、毎年二頭の豚を育て、子牛も一頭飼っていた
草刈り用に羊も数頭預かり、犬が二匹、猫も一匹
お宿そのものの仕事以外に家畜の世話や畑仕事にも追われる
田舎暮らしって結構忙しいもんやったな〜
そやけど、あの九年間はオレが一番輝いた時代やったな〜〜
ー あっそう、いつも前置き長過ぎるぞ、お爺ちゃん。で、タンドリーチキンは❓ー
鶏は卵、半年かけて育てた二頭の豚はカツやステーキと自家製ハムにベーコン
購入した一頭分の牛の枝肉は食べ放題のすき焼き、しゃぶしゃぶ、
硬い肉はストーブの周りの網で土産用の自家製ビーフジャーキー
ま、これで一番忙しい冬の一シーズンはまかなえた
ー はいはい、で、タンドリーチキンは❓ー
大阪に落ち武者のように舞い戻ってまたジャズバーをやらかし
フードメニューは多彩に増やしたけどタンドリーチキンの登場は遅かった
ー 何かもったいつけて焦らすやん。ポンポンと話まとめてんか ー
22歳で喫茶店を始め、スナックからジャズバーと遍歴を重ねて来たけどバーテンとしても調理人としても全てが独学で
全てホンマに全て。中卒で社会に揉まれて生きるのが必死やって
学ぶとか教えを乞うなんてヒマなんてなく何もかも全てがぶっつけ本番
ー あのな、あんたの人生話聞くのに付き合う気はないんやど、、、ー
そこでたまたま思い付きで作った料理がイタリアンの何々とか
中華の何々とか朝鮮料理の何々に似てるわって具合やってね
一番最後になった天満の店を始めて間なしに
チキンで新しい料理を作ったら「これって異質のタンドリーチキン」
異質ながら食べれる人は例外なく「美味い❗️」言うてくれはった
やのにオレ自身はタンドリーチキンなるものを食べた事がなかった
ー おっ、やっと出て来た!待ってました成駒屋❗️ー
けっ、誰が成駒屋やねん。
城崎温泉でお宿を始めてみたら、今までのような料理ではアカン
信州木島平村の時代は冬は鍋が主体、それ以外はBBQがほとんど
バーで出す料理は酒に合う手軽にできるものばっかりでっしゃろ
城崎温泉に来たらカニ、カニカニ。それにできるだけ海鮮ものや
カニ触った経験なし、魚捌くのん下手ぴん
料理のバリエーションあんまりあれへん
ただ、パーティー料理にはパーティーいっぱいやったから長けてる
城崎温泉は何処でもカニに海鮮、但馬牛
一泊二食付6500円で始めたお宿でそんな高級食材はムリ!
が、ね、そこや、それを逆手にとって街山荘の料理を考えた
朝鮮、中華、イタメシ、エスニック料理を街山荘の特徴にすべぇ
鶏のモモ肉一枚のタンドリーチキンと特製のソーセージにジャガイモと野菜
サブ料理には季節と仕入れ状況に合わせてバラエティーに富んだもの
更にご要望次第でカニも海鮮もオプションで、とね
お客さんはほとんど初めての人
カニだけを楽しみにしてそれ以外に出される料理には期待してへん
何せ6500円で出される料理って大したコトないやろう、と
で、先ずはメインのタンドリーチキンとソーセージのセットを出す
モモ肉一枚のタンドリーチキンはデカイ!
それを見たお客さんのほとんどが「うわ〜スゴイ❗️」
「コレッ一皿で一人前?」とビックリするやら喜んでくれるやら
「うまっ❗️」一口入れたらほとんどが賞賛してくれた。
ー ホンマに美味いもんな。ワシもやみつきになってもうたぞ ー
そうやねん。
三年もやってるとありがたいコトにリピーターも増えてきた。
二度三度どころか最高で六回も来てくれはる。
そうなったらお客さんと言うより身内見たいでね
「また、よしおちゃんとこに帰って来たで」
実家に帰って来た感じで圧倒的に若者が多いやね。
そんなお客さんに毎度タンドリーチキンもないやろうと
別の料理を考えてると「あれを楽しみに食べに来てん」
そんな具合で三年経ってもメインはタンドリーチキン
この連休二日間は年始以来の満室でござる
合わせてタンドリーチキンを30皿以上の出したよ
初日は街山荘に四度目のお客さん、やっぱりタンドリーチキン
お連れのお客さんも他のお客さんも「美味い、美味しい」と食べてくれた
二日目。四世代8人の家族連れ
街山荘の夕食は七時。遅らせてもそれより早くと言うお客さんはおれへんかった
ところが、家族連れの長老のおばあちゃんが六時にしてくれとさ。
そんなつもりでスタンバイしてなかったから慌てたがな
出来るだけ早くしますと厨房は一人で大混乱になった
ちょっと遅れたけど6時半には出すコトができた
皆さんやっぱり「わ〜スゴイ、美味しそう❗️」とね。
ワシ、悦にいって次のお客さんの食事をせっせと準備してたら
「よしおちゃん、コレまだやで。生っぽいわ」とお父さん声
えっ、と慌てて見にいったら全部が完全に火が通ってないやん
「すみません。撤収してもう一回火を通します。チョット待ってください」
もうエエやろうと、次々運んで二度目の配膳
で、また厨房に駆け込み他のお客さんの料理を作り始めてると
「よしおちゃん」とまた呼ぶ声。
四人分が未だ生っぽい!え〜えっ、もう何てこっちゃ
平謝りに謝って厨房に戻り三度目の火入れ
もう大丈夫と出してまた厨房へ
「よしおちゃん!」お父さんの太い不機嫌な声。
お父さんのだけが未だチョット火が通ってへんねん。
もう、こんなん初めてのやん。凹んでもうた
何度も謝り意気消沈して厨房で四度目の火を通してると
お父さんがドアを開けて一歩はいて来た。憮然とした表情だす。
「もう、一体どないなってんの❓」
残りのお客さん8人分はいつでも出せる用意ができたが
皆さん揃ったのが8時前でこれは余裕やったが
オレとしてはこんな失態やらかして気分は沈みっぱなし
家族の皆さん誰もが「美味しかったですよ」
多分、オレへの慰めの優しい言葉やったやろう
後は何時ものようにお客さんと一緒になって飲んで話して
お父さんともニコニコ話し合えた。
若者たちは飲み放題のコースでキャッキャとビリヤードにも高じて
始終笑顔を絶やさへんオレやったけど
気持ちはずっと沈んで密かに反省を続けてたね
ー そうか〜、ま、誰でも失敗はある。これを教訓にするコトやな ー
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