2015年1月31日土曜日

窓外の陰気な天気の中で

「ワレー、挨拶ちゅうもん知らんのかい」
高校生の悪ガキとは違う。大人の修羅場を積み重ねたような凄み
で威圧される恐怖。
「高校生のガキが帰りしなに頭一つよう下げんのかい」
「学生証出せ。それを村田みたいに一万円で買い戻しに来い」
「返事もようでけへんみたいやな。痛い目に会いたいらしいな」
三人がそれぞれ凄みのある威圧をかけ脅して来た。
恐怖とはこんなものか。言葉一つ出てこない。体がガチガチで
身動き一つできず、その上呼吸一つするのが苦しい。
やられると思った。
初めて逃げたいと思った。今なら確実に逃げられる。
兄の正紀に一方的な暴力を受け続け、小学校低学年の頃には何
度も数人に囲まれ小突き回されたが、以来やられると言うコト
はなかった。
やられる。やられるってどんなんなのか。
全身の血の気が引き手足の先端が冷たく固まる。

あは、いきなり何事かと思ったでしょう。
これ、今、編集中のオレの八冊目の著書、
長編小説『征生男(ゆきお)惜春』の一コマだす😅

今日も城崎温泉は悪天候。
時折激しく豆粒大の雪の塊が叩きつけたり突風がドアを叩く。
朝、そんな中を円山川の土手に出かけ腕を動かしたり蹴りをしたり
小一時間ほど暴れたら体がポカポカ腹も減った。

久しぶりに圧力鍋で玄米炊いたが上手くいけへん。
イラついて野菜たっぷりのラーメンでとりあえず空腹をなだめ
さて、本日は何をいたそうかなと、アレコレ


窓外の陰気な天気のせいか、全てのやる気が潜って浮上せえへん。
それでも今日は昼から絶対に飲むまいと誓った

(そんなもん、誓うちゅう程のもんか。当たり前じゃ)

ならば、一向に進まへん小説の編集に取りかかろう。
なかなか言うコトをきかないPCを開け誤字脱字がないか
おや、ここはチト変と、また文章を変える。
その繰り返しでもう10年になろうとしてる。
エエねん。妥協したりええ加減なものを作っても値打ちがない。

オレの16、17歳の頃をモデルに物語が展開され意外な方向に行く。
純愛と暴力とセックスに当時の社会状況に揉まれて
思春期の少年が如何に潰れて行くかのお話。
これを執筆していると、当時の思いそのものに立ち返って
執筆中に涙したりで、オレはいつまでも思春期のままであって

(70過ぎたかな爺さんが何を戯言おっしゃってまんねん)

あの頃は私闘だけやったが、それから二十歳を越え子供も生まれた頃
権力との闘いが待っていた。
70年前後、安保闘争や沖縄奪還闘争、成田空港阻止の三里塚闘争
熱く燃え、かつ、常に連敗の悔恨と絶望的な日々でもあったな。

(何か、おじいちゃん、カッコつけ過ぎちゃう)




最近は常に沖縄を見ている。
二つの理由で心は沖縄に行っている。
一つは暖かい沖縄で永住したいというのが膨らみ過ぎている。
一つは、沖縄の人達の基地闘争、オレも参加したい❗️

最悪な安倍政権を潰さねば
辺野古でのゴリ押し暴挙は許されない❗️
願わくばかつて70年代の頃のように部隊を組んで実力闘争に挑みたい

(えらい言うコトだけは元気やけどアンタもうエエ歳やで)



お宿とBARをやってるからお客さん来はったら
できるだけ楽しい場を演出して遠来の人達をおもてなしする。
たった一日の中で思い出に残ってもらわないとね
ま、50年もこの稼業で接客させてもらってるとキャリアが生きて
それは自然にこなせる

そやけど、昔からそうやけど、酔うと勢い余って
矛盾だらけの世相について熱く語ってしまうんやな〜

(商売やってんねんから程々せんとお客さん来んようになるで)


2015年1月30日金曜日

まぁ〜楽しい8人の団体さん❗️

お客さんが朝帰ってから独り飲んでると
漁師の岡ちゃんが入って来て一緒に飲みだしたぞ
岡ちゃん今回は手ぶらでお土産なし
そいで、少し飲んだだけやのに5000円置いていった

その頃にはオレの記憶も曖昧になり
ま、寝るべぇと席を立ったらフラフラすってんころりん
ベットへ行くまで二回も転んでもうた
お土産でもらった清酒、冷で飲み過ぎたかな

11時頃トイレに行ったのは覚えてる
次に目が覚めたのは、何と夜の10時半

お泊りのお客さんが居ると何時も睡眠は約三時間
その後は帳尻を合わすように眠りに陥ってしまう

日曜に8人で来てくれたお客さん
女子5人、男子3人
皆を連れて来てくれた「登志雄ちゃん」
先ずFBで友達申請してくれて予約をしてくれた

登志雄、譽志男が見間違うように似てるやん
ほんで、FBで毎回「いいね」をしてくれる
あったコトないし、何か気になっててんな
会ったらえらい豪快な男子

彼の彼女の誕生日をサプライズ❗️
事前にケーキを用意して欲しいと頼まれていた

深夜、午前0時が過ぎて日付が変わったとこで
ハッピーバースデーツーユー
いやーオモロかった楽しかったぞ









ほんで、その翌朝、と言うか昼近く6人が温泉に行った。
街山荘のチェックアウトは正午
前の晩さんざ飲んだら朝寝OKと言うわけ

皆さん喜んでくれて朝食は11時になりました
皆さん温泉に行ってる間にオレは朝食の用意
と、そこへ残った女子二人が起きて来て
厨房を覗き「よしおちゃん、何かするコトない?」

あっ、洗い物たまってる。私、洗うわ
わたし、料理のお手伝い

こんなコト珍しい訳ちゃうねんけど

ほな、動画撮るわ





2015年1月20日火曜日

街山荘名物、自慢のタンドリーチキンで大失態の巻!


お宿をしたいと言うオレの強い願望は
'98年に全焼した信州木島平村のロッヂ街山荘に起因する






それまでは長年大阪でジャズバーにジャズライブハウスを営んで
飲んで楽しんでもらうだけの店やったのが

お宿は更に朝夕の食事と休んでもらう部屋も提供する
朝夕食を出すのはほぼ一日料理と後片付け洗物に追われる
更に部屋の掃除、寝具の上げ下げ、シーツなどの洗濯
いやいやまだまだある。
トイレ、全館の掃除に大掛かりな買い出しも


そう言うお客さんには見えない所の配慮の時間が大半を占める
お客さんに見えるもので大事なものは料理

信州木島平村時代は可能な限り自給自足を目指した
40坪の畑に色んな野菜を育て作ったり
鶏が約100羽、毎年二頭の豚を育て、子牛も一頭飼っていた
草刈り用に羊も数頭預かり、犬が二匹、猫も一匹
お宿そのものの仕事以外に家畜の世話や畑仕事にも追われる
田舎暮らしって結構忙しいもんやったな〜
そやけど、あの九年間はオレが一番輝いた時代やったな〜〜





ー あっそう、いつも前置き長過ぎるぞ、お爺ちゃん。で、タンドリーチキンは❓ー

鶏は卵、半年かけて育てた二頭の豚はカツやステーキと自家製ハムにベーコン
購入した一頭分の牛の枝肉は食べ放題のすき焼き、しゃぶしゃぶ、
硬い肉はストーブの周りの網で土産用の自家製ビーフジャーキー
ま、これで一番忙しい冬の一シーズンはまかなえた


ー はいはい、で、タンドリーチキンは❓ー

大阪に落ち武者のように舞い戻ってまたジャズバーをやらかし
フードメニューは多彩に増やしたけどタンドリーチキンの登場は遅かった


ー 何かもったいつけて焦らすやん。ポンポンと話まとめてんか ー

22歳で喫茶店を始め、スナックからジャズバーと遍歴を重ねて来たけどバーテンとしても調理人としても全てが独学で
全てホンマに全て。中卒で社会に揉まれて生きるのが必死やって
学ぶとか教えを乞うなんてヒマなんてなく何もかも全てがぶっつけ本番


ー あのな、あんたの人生話聞くのに付き合う気はないんやど、、、ー

そこでたまたま思い付きで作った料理がイタリアンの何々とか
中華の何々とか朝鮮料理の何々に似てるわって具合やってね
一番最後になった天満の店を始めて間なしに
チキンで新しい料理を作ったら「これって異質のタンドリーチキン」
異質ながら食べれる人は例外なく「美味い❗️」言うてくれはった
やのにオレ自身はタンドリーチキンなるものを食べた事がなかった


ー おっ、やっと出て来た!待ってました成駒屋❗️ー

けっ、誰が成駒屋やねん。
城崎温泉でお宿を始めてみたら、今までのような料理ではアカン
信州木島平村の時代は冬は鍋が主体、それ以外はBBQがほとんど
バーで出す料理は酒に合う手軽にできるものばっかりでっしゃろ


城崎温泉に来たらカニ、カニカニ。それにできるだけ海鮮ものや
カニ触った経験なし、魚捌くのん下手ぴん
料理のバリエーションあんまりあれへん


ただ、パーティー料理にはパーティーいっぱいやったから長けてる
城崎温泉は何処でもカニに海鮮、但馬牛
一泊二食付6500円で始めたお宿でそんな高級食材はムリ!
が、ね、そこや、それを逆手にとって街山荘の料理を考えた



 
 
ー 大将、お爺ちゃん、話がまたそれてまっせ ー

朝鮮、中華、イタメシ、エスニック料理を街山荘の特徴にすべぇ
鶏のモモ肉一枚のタンドリーチキンと特製のソーセージにジャガイモと野菜
サブ料理には季節と仕入れ状況に合わせてバラエティーに富んだもの

更にご要望次第でカニも海鮮もオプションで、とね
お客さんはほとんど初めての人
カニだけを楽しみにしてそれ以外に出される料理には期待してへん
何せ6500円で出される料理って大したコトないやろう、と


で、先ずはメインのタンドリーチキンとソーセージのセットを出す
モモ肉一枚のタンドリーチキンはデカイ!
それを見たお客さんのほとんどが「うわ〜スゴイ❗️」
「コレッ一皿で一人前?」とビックリするやら喜んでくれるやら
「うまっ❗️」一口入れたらほとんどが賞賛してくれた。







ー ホンマに美味いもんな。ワシもやみつきになってもうたぞ ー

そうやねん。
三年もやってるとありがたいコトにリピーターも増えてきた。
二度三度どころか最高で六回も来てくれはる。
そうなったらお客さんと言うより身内見たいでね
「また、よしおちゃんとこに帰って来たで」
実家に帰って来た感じで圧倒的に若者が多いやね。


そんなお客さんに毎度タンドリーチキンもないやろうと
別の料理を考えてると「あれを楽しみに食べに来てん」
そんな具合で三年経ってもメインはタンドリーチキン

この連休二日間は年始以来の満室でござる
合わせてタンドリーチキンを30皿以上の出したよ

初日は街山荘に四度目のお客さん、やっぱりタンドリーチキン
お連れのお客さんも他のお客さんも「美味い、美味しい」と食べてくれた







二日目。四世代8人の家族連れ
街山荘の夕食は七時。遅らせてもそれより早くと言うお客さんはおれへんかった
ところが、家族連れの長老のおばあちゃんが六時にしてくれとさ。
そんなつもりでスタンバイしてなかったから慌てたがな
出来るだけ早くしますと厨房は一人で大混乱になった

ちょっと遅れたけど6時半には出すコトができた
皆さんやっぱり「わ〜スゴイ、美味しそう❗️」とね。

ワシ、悦にいって次のお客さんの食事をせっせと準備してたら
「よしおちゃん、コレまだやで。生っぽいわ」とお父さん声
えっ、と慌てて見にいったら全部が完全に火が通ってないやん
「すみません。撤収してもう一回火を通します。チョット待ってください」

もうエエやろうと、次々運んで二度目の配膳

で、また厨房に駆け込み他のお客さんの料理を作り始めてると
「よしおちゃん」とまた呼ぶ声。
四人分が未だ生っぽい!え〜えっ、もう何てこっちゃ
平謝りに謝って厨房に戻り三度目の火入れ
もう大丈夫と出してまた厨房へ

「よしおちゃん!」お父さんの太い不機嫌な声。
お父さんのだけが未だチョット火が通ってへんねん。
もう、こんなん初めてのやん。凹んでもうた

何度も謝り意気消沈して厨房で四度目の火を通してると
お父さんがドアを開けて一歩はいて来た。憮然とした表情だす。
「もう、一体どないなってんの❓」



残りのお客さん8人分はいつでも出せる用意ができたが
皆さん揃ったのが8時前でこれは余裕やったが
オレとしてはこんな失態やらかして気分は沈みっぱなし
家族の皆さん誰もが「美味しかったですよ」
多分、オレへの慰めの優しい言葉やったやろう


後は何時ものようにお客さんと一緒になって飲んで話して
お父さんともニコニコ話し合えた。

若者たちは飲み放題のコースでキャッキャとビリヤードにも高じて
始終笑顔を絶やさへんオレやったけど
気持ちはずっと沈んで密かに反省を続けてたね


ー そうか〜、ま、誰でも失敗はある。これを教訓にするコトやな ー

2015年1月7日水曜日

遅まきながら、明けましておめでとうございます

遅まきながらあらためて、あけましておめでとうです󾔘
遅過ぎた訳、二つ❗️
三日の城崎温泉での火事でオレなりに謹慎の気持ち。
年末27日〜正月3日まで満室あるいはそれに近い状況で忙殺され
FBもブログもメールもする余裕がありませんでした


忙殺されたとは言え、実に目まぐるしく楽しい一週間でござった❗️
今回の特徴は家族連れと男組の多かったコトですね。
それにカップルも、一人旅も、延べ70人様のお泊まりでした󾠔

一週間でこの人数はホンマにありがたいコトです。
で、よしおちゃんの睡眠時間は平均三時間

一人でやっているのがホンマに分かっていただき
毎日入れ替わり来るお客さんほぼ全員が快くお手伝いしてくれましたぞ󾮗
その分、大いに打ち解けて毎夜飲んで弾けて楽しい酒盛りでした


雪に見舞われ風情のある城崎温泉を楽しんでもらったけど
雪でのアクシデントもあったりして
お客さんの行き帰りは大変でした

そんな中を大半のお客さんがまた是非来てくれると
帰りの別れ際に異口同音に言ってくれ嬉しい限りです


あんまり多い思い出とエピソードで伝え切れません
そこは写真をご覧あれ






















2015年1月6日火曜日

正月早々の火事、心からご冥福とお見舞い申し上げます

「よしおちゃん、大丈夫?」
そんな安否の問い合わせが三日の早朝から次々寄せられて何事かとビックリ❗️

お正月の三日未明に城崎温泉の真ん中当たりで火事がありました。
城崎温泉と聞いて直ぐに街山荘を心配してくれる方の多いのに嬉しいですね。ありがたい感謝です。
幸い街山荘からは遠い所でしたのでご安心下さい。

それよりも、正月早々に実に悲しい不幸な出来事です。
お亡くなりになった方、被災された方達に
心からのご冥福とお見舞いを申し上げます。

1998年12月16日
信州木島平村のロッヂ街山荘を全焼させた
オレにはよそ事や他人事とは思えない

明日、いや次の一瞬で何が起きるか分かれへん
常に危機管理、気持ちを引き締めていきたいものです。